三重県のお城・城跡めぐり特集 ~三重の城郭を巡ろう~

掲載日:2022.05.09

三重県内にあるお城や城跡(城址)の特集です。
歴史好きでお城めぐりを楽しむ方が増加しており、お城や石垣が注目を浴びています。
中には、多くのお城ファンを魅了する「日本100名城®」、「続日本100名城」に選ばれたところも。
三重県内には築城の名手・藤堂高虎が作った赤木城跡や三層の天守閣がある伊賀上野城など、見所多数です。

〇お城の登城記念「御城印」
桑名・伊賀上野・伊勢亀山・津・松坂・田丸・鳥羽では、お城の「御城印」を販売中!登城の記念に集めてみてはいかがでしょう。御城印の販売場所は各城の詳細ページをご覧ください。

〇三重県の御城印特集 ~三重県で御城印をいただこう!~

三重県の御城印特集はこちらでご覧ください 

〇スタンプラリー開催中
桑名・伊賀上野・伊勢亀山・津・松坂・田丸・鳥羽で、7つの城郭を巡るスタンプラリー開催中!スタンプを集めると、松阪牛や伊勢海老、あわびなど海の幸や銘菓等の特産品が抽選で当たります!

詳しくはこちらをご覧ください 

 

桑名城跡・九華公園 (桑名市)

桑名城跡の本丸及び二之丸跡を利用した公園で、約7.2haの広さがあります。
園内では4月に桜、5月につつじ、6月に花菖蒲まつりが行われています。

関連情報

御城印販売場所:桑名市物産観光案内所
        吉浦休憩施設
        宿場の茶店ハジメ

亀山城跡 (亀山市)

天正18年(1590)岡本宗憲が築城しました。寛永9年(1632)三宅康盛の代に天守が下ろされ、正保年間(1644~1648)本多俊次が城主の時に天守跡に現在の多門櫓が建てられました。

平屋建白壁の塗込で屋根は入母屋造り、東西北の三方に破風があり、平時は武器庫として利用していました。県内に唯一現存する城郭建造物として、昭和28年に県史跡に指定され、特に桜や積雪の頃は野趣にあふれ、高石垣の上にそびえる多門櫓は今も往時と変わらぬ風情を残しています。

関連情報

御城印販売場所:(一社)亀山市観光協会

(一社)亀山市観光協会
亀山市関町新所664-2 
TEL : 0595-97-8877

神戸城跡と神戸公園 (鈴鹿市)

1580年、神戸信孝「神戸家の養子となった織田信長の三男」が五重の天守閣を築きましたが、現在は野面積みの石垣だけが残り、付近は神戸公園として市民の憩いの場所となっています。

津城跡 (津市)

織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。以後、 津は城下町として発展してきました。本丸を中心に出丸を置き、幾筋かの河流を城の外堀に取り入れたもので、 低湿地ながら防御には堅固な城でした。
現在では、本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりましたが、 復興された角櫓の三層の白壁に老松がはえ、苔むす石垣とともに昔を偲ぶことができます。
続100名城にも選ばれています。

関連情報

御城印販売場所:津駅前観光案内所
取材レポート:津市のオアシス「津城跡」は、歴史と自然の魅力あふれるパワースポット!

(一社)津市観光協会
津市羽所町700番地 アスト津1階
TEL : 059-246-9020

伊賀上野城 (伊賀市)

藤堂高虎により築城され、現在は当時の内堀と石垣、昭和10年に建てられた天守閣が残っています。3層からなる城内には武具・甲冑や藤堂家の遺品、横山大観をはじめ名士の色紙46点の天井絵があります。日本有数の高さを誇る内堀の石垣も必見です。
また、伊賀市の郷土資料を展示。現在の三層の天守は、昭和10年に川崎克氏により建てられたものです。伊賀文化産業城とも呼ばれ、市の指定文化財となっています。
日本100名城®にも選ばれています。

関連情報

9:00~17:00(入館は16:45まで)

公益財団法人伊賀文化産業協会
TEL : 0595-21-3148

松坂城跡(松阪公園) (松阪市)

1588年に蒲生氏郷によって築城されました。建造物はなく、豪荘な石垣が残るのみですが本居宣長記念館や、歴史民俗資料館、武家長屋の御城番屋敷があります。
桜と藤の名所でもあり、松阪公園として親しまれています。平成23年2月には、国史跡に指定されました。
日本100名城®にも選ばれています。

関連情報

御城印販売場所:松阪駅観光情報センター
        松阪市立歴史民俗資料館
        豪商のまち 松阪観光交流センター
        まつさか交流物産館

「Storyで紡ぐたび」で詳しく紹介しています→武家屋敷と松阪のまち「御城番屋敷・松坂城」

(一社)松阪市観光協会
松阪市京町507-2 松阪市観光情報センター内
TEL : 0598-23-7771

田丸城跡 (度会郡玉城町)

野面積みの石垣が美しい南北朝時代の城址。北畠親房・顕信父子が玉丸山に城塞を築き、南朝の拠点としたと伝えられます。天正3年(1575)織田信雄により平山城の田丸城が築かれその後稲葉氏、藤堂氏、久野氏と城主が変わり明治2年廃城となりました。
続100名城にも選ばれています。

関連情報

御城印はスタンプ式(無料)、プレミアム御城印(有料)あり
設置場所:村山龍平記念館

鳥羽城跡 (鳥羽市)

九鬼嘉隆が文禄3年(1569)に築城。以後九鬼水軍の本拠地となっていました。
大手門が海側に突出して作られるという全国でも珍しい形をしており、この大手波戸水門が出入り口となっていました。
現在は二の丸跡に鳥羽小学校が建てられ、本丸跡は同校のグランドとなっており、天守閣の石垣などにわずかに面影を残すので、鳥羽城本丸石垣下西方に記念碑が立っています。

関連情報

御城印販売場所:(一社)鳥羽市観光協会
         鳥羽市観光案内所
         鳥羽歴史文化ガイドセンター

(一社)鳥羽市観光協会
鳥羽市大明東町1-7
TEL : 0599-25-3019

赤木城跡(赤木城公園)及び田平子峠刑場跡 (熊野市)

赤木城は、築城の名手・藤堂高虎によって作られた、中世と近世の築城法を併用した平山城で、近世城郭の萌芽ともいうべき城郭機能が兼ね備えられています。また、朝もやに浮かぶ城跡は、幻想的で天空の城とも言われています。主郭には桜が多く、桜の名所としても知られています。
続100名城にも選ばれています。

阿坂城跡(白米城跡) (松阪市)

標高300m余の山頂に築かれた山城で北畠氏の居城。
籠城する北畠満雅が、馬の背に白米を流して水があるように見せ、水断ち作戦に出た幕府軍を撃退したと伝えられ(南方紀伝)、別名『白米城』とも呼ばれる。

壬生野城跡 (伊賀市)

市の史跡に指定されている、別名を「清水城」とも呼ばれ土豪清水岩城守が城主であったのではないかと言われている。
130×90m土塁残 創建年代:不詳

田辺城址 (いなべ市)

当町内に8~12ヶ所あるといわれる中世城館跡のうち、その面影が鮮明であること、規模が最大であること、調査が進んでいることなどから、代表的な城館跡としてあげられ、天正年間に北畠氏の流れをくむ木造長政の居城であったことが判明しています。
文献によれば南北200間(360m)東西60間(110m)丸之内30間四方(3000㎡)堀幅5間(9m)(『天明四年御領内控記』)。
現在はその地に高齢者等研修施設“熟人荘””が建築されている。
創建年代:天正年間(1573~1591)

松ヶ島城跡 (松阪市)

三渡川右岸の海岸線から東へ500m、俗に天守山と呼ばれる1辺約20mの四方の台状地が、本丸天守台の跡と考えられている。永禄10年(1567)の頃、北畠具教はここ細首(松ヶ島の旧名)に築城するが、同12年、織田軍来攻に際して自ら焼き廃城とする。天正8年(1580)、具教の養子に入った信長の次男北畠信雄は同地に築城、松ヶ島城と改称した。その後、同12年に蒲生氏郷が入城し南伊勢支配の拠点として栄えたが、松坂城の完成とともに廃城となった。

大河内城跡 (松阪市)

標高110m余りの丘陵突端部一帯、300m四方の範囲内に建造され、東裾には坂内川、北裾には矢津川が流れ、南裾と西裾には深い谷が巡って自然に要害の地を形成している。城の縄張りは本丸を中心に北を大手口、南を搦手口とし、西に西の丸、東に二の丸・御納戸・馬場などを配し、随所に堀切りや台状地が残る。

転輪寺の柏野城跡 (伊賀市)

この他にも、伊賀地区には中世城館跡が500ヵ所以上あり、代表的なものに福地城跡や竹島城跡、壬生野城跡があります。
天正9年(1581)9月27日、丹羽長秀、滝川益一ら12,000余りの織田軍が柘植口から攻め入り、柏野城には伊賀北東部の伊賀衆が立て籠って抗戦しましたが多勢に無勢でたちまちのうちに敗れました。

五ヶ所城址 (度会郡南伊勢町)

南北朝時代から戦国時代にかけて活躍した伊勢の豪族、愛洲氏の居城で、三重県の史跡にも指定されています。中世の山城なので、堀や居館の跡はありますが石垣はありません。城址の近くには「愛洲一族の塔頭」という愛洲一族の墓が並び、戦国の哀愁が漂っています。
また、ここは、剣道の影流の祖の誕生地でもあります。愛洲一族の移香斎久忠が世に広めた愛洲影流が、柳生新陰流やタイ拾流の源となりました。
毎年8月には、剣祖移香斎を讃えるために、「剣祖祭」がおこなわれ、全国各地各派武術者による武芸奉納が行われます。

福地城跡 (伊賀市)

福地伊予守の拠城でしたが、明治26年、翁200年忌を記念して、福地城跡に持主の松尾宇八郎氏から土地の寄付を受け芭蕉公園を後世に残しました。
園内には「古郷(ふるさと)や臍(ほぞ)の緒(お)に泣くとしの暮」の句碑があります。また、万寿寺から芭蕉公園へ向かう途中には、西村白雲郷の句碑「芭蕉さんと村童のいふ刈田道」(誰もが親しみをこめて”芭蕉さん”と呼ぶことから)があります。170×220mの土塁を残しています。
地域の方に愛されている場所で春は花見、秋は紅葉を楽しめる憩いの公園です。

田城跡 (鳥羽市)

加茂川と河内川の合流付近にある丘陵を利用した城跡。

鵜殿城趾 (南牟婁郡紀宝町)

鵜殿村の西端、小高い丘の頂上に構築された直径35m短径24mの楕円形の敷地で、掻上式土塁。鵜殿氏(1000~1600年)の築城といわれる。創建年代:不詳

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