三重県は伊勢神宮参拝者が食した名物餅がたくさん!「餅街道」のおすすめの名物餅をご紹介。おみやげにお餅はいかが?
掲載日:2025.10.24

江戸時代、多くの旅人が「お伊勢参り」で伊勢神宮を目指しました。道中食として手軽で腹持ちの良い餅が好まれ、桑名から伊勢までの参宮街道は「餅街道」と呼ばれるようになりました。
街道沿いには、当時旅人をもてなした名物餅のお店が今も多く残っており、旅の途中で味わいながら、昔の人々の旅路に思いを馳せることができます。
▶目 次
「三重の餅街道」と呼ばれるようになった理由は?
伊勢神宮は、江戸時代から「お伊勢参り」に訪れる多くの旅人たちを迎え入れてきました。全国各地から伊勢を目指す旅人たちは、道中の食事として、手早く食べられて腹持ちの良い餅を好んで食べたとされています。
東海道の「日永の追分」から伊勢街道につながり、伊勢別街道や伊賀街道、和歌山街道など多くの道が合流する伊勢街道は、主要な街道として賑わっていました。
街道沿いでは、旅人をもてなす茶屋が栄え、道中食として親しまれた様々な「名物餅」が人気となりました。
このことから、桑名から伊勢までの参宮街道は、いつしか別名「餅街道」と呼ばれるようになったのです。現在もこの街道沿いには多くのお店があり、それぞれに特色ある餅を味わうことができます。
三重県の名物餅の歴史
伊勢神宮への参拝客をもてなすために、江戸時代に誕生したとされる三重県の名物餅。これらは「餅街道」として知られる道沿いで、旅人たちの道中食やお土産として愛され、今日まで受け継がれています。
中でも、全国的にも知られる赤福餅は宝永4年(1707年)創業。滑らかなこし餡とやわらかな餅が特徴です。また、宮川の渡し場で旅人が乗ってきた馬を返したことにちなんで名付けられたへんば餅は、安永4年(1775年)の創業と、こちらも長い歴史を持っています。
さらに、二軒茶屋餅は天正3年(1575年)創業と古く、昔ながらの製法を守り続けています。 このように、三重の名物餅は時代を超えて多くの人々に親しまれ、三重の食文化を今に伝えているのです。
餅街道を地図で紹介

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赤福 (伊勢市)
創業宝永四年と書いた金看板をかかげた古風な切妻建で、店先にある赤い大きな竈が湯をたぎらせる姿も奥ゆかしく、伝統の味を今も守り続ける。白い餅は川底の小石を、あんにつけた三筋は五十鈴川の清流をあらわす。名の由来は‘赤心慶福’という言葉から。(赤心はまごころ、慶福は幸福を喜ぶの意味)
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へんば餅 (伊勢市)
宮川の渡しの前で参宮客が馬を返したところから、へんば(返馬)餅と呼ぶ。参道街道沿いに創業して以来200年を超える老舗和菓子店。きめ細かい新粉を蒸して作った団子皮の中にこしあんを包み、こんがりついた焼き目が甘くて香ばしい餅です。
太閤出世餅 (伊勢市)
上品な甘さに炊きあげた粒あんをつきたての餅でくるみ淡いこげ目をつけた「太閤出世餅」。天下人秀吉が「美味也」と賞賛したことが、名称の由来。お茶を飲みながらゆったりお餅がいただけるので、散策の休憩にうってつけ。内宮宇治橋のすぐ近く、参道からちょっと入ったところにある穴場です。
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神代餅 (伊勢市)
天然のヨモギで作った草餅の中にほどよい甘さのつぶあんが入ったひと口サイズのお餅。
草の香りがさわやかな神代餅は天然のよもぎだけで色と薫りを出し、添加物を一切使用せず作りつづけてきた本格派の草餅です。
岩戸餅 (伊勢市)
日本神話に伝えられる天鈿女命が舞われた岩戸神楽のめでたい古事にちなんで心をこめて謹製いたしました。伊勢みやげとしておはらい町入り口の岩戸屋で販売しております。北海道道産の小豆を使い、きな粉をまぶした美味しいお餅です。
二軒茶屋餅 (伊勢市)
あずき餡のたっぷり入ったうす皮のお餅にきな粉をまぶしてあります。舟参宮する人たちの舟着場に生まれた餅です。毎月25日には黒砂糖あんのもちが限定販売されます。
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くうや茶屋餅 (伊勢市)
もち米を完全につかずに粒を残した状態でもちを作り、中にこしあんを入れたもの。程良い米粒の歯ざわりもまたおいしい。
さわ餅 (志摩市)
こしあんを柔らかな餅で包んだほのかな甘味が自慢の銘菓。昔ながらの素朴な美味しさが静かな人気です。
安永餅 (桑名市)
細長くの伸ばした餅につぶ餡が入って、ほのかな焦げ目がついています。江戸時代桑名の殿様が非常時の食料として焼餅を考え、それ以来改良を重ね現在の味に到達しています。餅には一切の添加物は加えられず、餅本来の風味を味わえます。
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なが餅 (四日市市)
牛の舌のような形にのばしたあんこ入りのおもち。両面を軽くやいてあり、江戸時代よりお伊勢参りのみやげ物として売られていました。
関の戸(深川屋 関の戸本舗) (亀山市)
東海道53次の内47番目の宿場町「関宿」で約370年以上作り続けられているおもち菓子。関の戸は、寛永年間初代、服部伊予保重により考案創業され作り続けられている銘菓です。餅菓子で、赤小豆の漉餡を白い求肥皮で包み、その上を阿波特産の和三盆でまぶしてあります。その姿は鈴鹿の嶺に積る白雪をなぞらえたと伝えられています。
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志ら玉 (亀山市)
先に、三宅菓子匠が近郷近在に親しまれる「白玉」を作ったのが元になり現在、前田屋さんが工夫を重ねて「志ら玉」という餅菓子として親しまれています。由来は三種の神器、刀剣・鏡・勾玉(まがたま)のうち勾玉をイメージして考案されたと言われています。
おきん餅 (多気郡多気町)
昔は伊勢神宮とその別宮滝原宮の両宮への参拝の人々で賑わったこの茶屋におきんという老婆がいましたが、おきん婆さんの真心こめて作ったヨモギの香りの高いうまい田舎餅が休憩の旅人から大変評判となり、おきん餅と呼ばれるようになりました。絹肌のような柔らかい舌触りが好評。
まつかさ餅 (多気郡多気町)
表面に見える米粒の形がまつぼっくりに似ていることから名づけられた名物「まつかさ餅」。黒糖あんの上品な甘さに、真っ白な歯切れのよい餅は一度食べたら忘れられない味です。
けいらん (津市)
団子の生地でこし餡を包んで、赤と黄のもち米を散らして蒸し上げた津の伝統菓子「けいらん」。お伊勢参りの旅人をもてなした茶店の味がルーツです。九代にわたってつくり続けている「玉𠮷」の「けいらん」は、しっかりとした歯ごたえのあるお餅の中に、少し塩をきかせたこし餡が入っています。
志ら玉 (熊野市)
米粉を蒸してついたお餅でこしあんを包み、更に蒸すというこだわりの製法の「志ら玉」。つるんとした食感がたまらない、明治時代から熊野地方の「ご当地菓子」として有名なおまんじゅう。小ぶりで上品なあっさりした甘さは、いくらでも食べられる美味しさです。