尾鷲市の漁村「九鬼町」にある絶景「オハイ」は地元民でも知る人ぞ知るスポットとなっています。 元々、絶好の漁場として知られていましたが、近年になり、地元有志によって道が整備され、知名度が増してきました。 尾鷲のリアス式海岸の間に映え...
夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処と言われてきました。 夫婦岩はこの興玉神石と日の出...
鬼ヶ城は、地震による隆起や風化と波の浸食によって造り出された大岩壁です。国の名勝・天然記念物に指定されるほか、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されています。岩壁には約1キロにわたって遊歩道が整備されており、大小無数...
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鉾ヶ瀬の乳母神
相可浄土寺の裏、櫛田川の川原を"鉾ヶ瀬(ほこがせ)"と呼んでいます。江戸時代ここには渡しがあり、降り口に乳母神(うばがみ)がまつられています。 昔ヤマトヒメノミコトがこの川で鉾を清められたとか相可に居住していた神宮の神官たちがミソギをした場所と伝えられています。 街道から降りていく道角に乳母神がまつられています。
中南勢
大河内城跡
標高110m余りの丘陵突端部一帯、300m四方の範囲内に建造され、東裾には坂内川、北裾には矢津川が流れ、南裾と西裾には深い谷が巡って自然に要害の地を形成している。 城の縄張りは本丸を中心に北を大手口、南を搦手口とし、西に西の丸、東に二の丸・御納戸・馬場などを配し、随所に堀切りや台状地が残る。 本城は応永年間、伊勢国司北畠満雅により築城され、弟顕雅が入城して、その子孫は代々「大河内御所」...
阿坂城跡(白米城跡)
標高300m余の山頂に築かれた山城で北畠氏の居城。 籠城する北畠満雅が、馬の背に白米を流して水があるように見せ、水断ち作戦に出た幕府軍を撃退したと伝えられ(南方紀伝)、別名『白米城』とも呼ばれる。 松阪の観光情報は、松阪観光インフォメーションサイト ワクワク松阪 へ。
嬉野考古館
嬉野ふるさと会館内に併設。 嬉野管内から出土した埋蔵文化財の常設展示を行っており、墨書土器や鴟尾も展示している。 ※所蔵文化財はご覧になれない場合もありますので、おでかけ前に各問い合わせ先にご確認ください。
千鳥ヶ瀬のムクノキ・西行歌碑
相可の街に入るとすぐ、ムクの老樹【幹周囲485cm、樹高17m】が道を覆うように茂っていて、その下に塞の神がまつられて、傍らに歌碑が建っています。下を小さな「大木(たこ)川」が流れ、かかっている橋が「千鳥橋」です。 平安の頃、歌にすぐれた西行法師が、伊勢まいりの途中この辺りにきて憩ううち川千鳥の鳴く声を耳にして次の歌を詠みました。 -疲れぬる我を友呼ぶ千鳥ヶ瀬 越えて...
西村廣休宅趾ノふう樹【県指定天然記念物】
フウはマンサク科の落葉高木で、日本に自生地はなく台湾や中国西南部に主に分布し、原産地では樹高30m程に成長します。 博物学に関する書物も著している、西村廣休(1816~1889)は江戸時代、多気町相可において両替商を営むかたわら、宅地内に二千種に近い植物を育てており、このフウ樹も彼の植物園にあった樹木の一つで、彼を記念するものです。 樹高は約18m、遠くからでも町の屋並の上にその樹冠を見...
四疋田・大常夜灯
四疋田を通る街道沿いに立派な常夜灯が建っています。 3段の台石ともに高さ5.5mに及ぶこの常夜灯は、おそらく伊勢本街道でも最大級のものです。 紀州藩田丸領四疋田組の大庄屋を勤めた、当地の先賞者・三谷蒼山(そうざん)がなくなるとき、後の世までも献灯せよとの遺言によって、弘化2年(1845)に建てられたものです。
長盛寺
櫛田川の中程、JR紀勢本線「相可駅」からほど近いところに位置する寺院。 所蔵されている「薙刀」は国の重要文化財にしていされており、刃渡り65cm、柄の長さ71cm。 暦応5年(1342)の作で、当時の名工直次(佐兵衛尉(さひょうえのじょう))の銘が入っています。 寺伝によれば、この薙刀は天正4年(1576)北畠具教(とものり)が三瀬の館で討たれた後、その一族はこの薙刀を持ち、栃原(大台...
三重県畜産研究所
三重県畜産研究所は、より美しく快適な未来のために家畜を育てる技術の試験研究施設です。 しかも、放牧風景や乳しぼり風景を自由に見て回れるように配慮されていますので社会見学や遠足の場所としても、広く活用されています。
坂倉遺跡
この遺跡は縄文時代早期(約8000年前)の集落跡とみられています。 昭和49年の発掘調査で、食物を煮炊きする炉の跡、堅穴住居跡が発見され、ここには数軒ほどの集落があったと推定されています。 現在その一部が「坂倉公園」として保存されています。 【三重県の文化財情報】
斎宮歴史博物館
国指定史跡斎宮跡の一角に建つ県立の博物館。斎宮の歴史を紹介するため、伊勢神宮に使えた未婚の皇女・斎王(さいおう)の役割や、当時の斎宮の様子などを資料や模型、映像を使って分かりやすく紹介しています。 常設展だけでなく、特別展も随時開催しています。
特産品販売所・アンテナショップ あざふるさと
明和町、松阪広域の商品を中心に、三重県の特産品等お土産を販売しております。
伊勢自動車道「嬉野パーキングエリア」下り線
嬉野は三重県松阪市にある自然豊かな町。 近年、野外トイレをリニューアルし、より綺麗に、より広々として使いやすくなりました。 テレビでも紹介されることも多い「ジャンボたこ焼き」をはじめ、三重の逸品、松阪牛を贅沢に使った「松阪牛丼」、松阪牛入り伊勢うどん等も人気。 店舗奥には三重の特産品、真珠のアクセサリーの数々がずらり! その他、志摩市の的矢湾で獲れる、良質の的矢牡蠣を使った「...
西山古墳
全国でも珍しいふたつの四角を組み合わせたスタイルを持つ前方後方墳。三重県農業技術センター敷地内に昔のままの姿で保存されています。
香良洲公園
古くは香良洲神社の神領地であったが、大正14年に香良洲公園となり、昭和28年には伊勢の海県立自然公園の指定を受けています。 総面積の4.8haの公園内には老松たちが今なおダイナミックに枝を広げており、雄大な造形美の圧倒的景観をつくりだしています。 また、公園内には鴨長明の句が刻まれた歌碑があり、かつてこの地に製塩が盛んであった事を伝えています。
東畑記念館
国際的農業経済学の権威、東畑精一先生の「東畑記念館」が明治、大正時代の伊勢平野の農家(かや葺き屋根)をモデルにして東畑謙三氏(東畑家三男)の設計により昭和46年に建設され三重県に寄贈されました。 東畑精一、四郎両先生より専門書約九千冊が寄贈され収容していましたが、現在は三重県立図書館にて保存されています。天井壁面には、杉本健吉画伯の杉板大絵馬四面(農業に関する果菜、根菜、花き、家畜)が掲げ...
伊勢自動車道「嬉野パーキングエリア」上り線
平成2年に完成、そして平成25年にはリニューアルし、より訪れやすくなった『嬉野PA(上)』。伊勢から北上する際に最初に訪れるPAとして、伊勢神宮を意識した内装や、伊勢うどん、松阪牛を使ったオリジナルメニューがいっぱい! 「松阪ホルモン焼きうどん」は、伊勢うどんの麺を伊勢うどんのタレで焼いた一品。普通の伊勢うどんよりも香ばしく、豚肉も合わさることで食べ応えと旨味が◎!大人も子どもも大好き...
一棟貸し農泊 hanare 6tsuki
田園風景が目の前に広がる癒しのシチュエーションを満喫できる農泊です。 夜は木製スピーカーで音楽を聴きながら、採れたての野菜と地元の食材で自炊料理を楽しむことができます。
歴史の道
斎宮歴史博物館に続く道に、斎王や斎王ゆかりの和歌が刻まれた24基の歌碑が並んでいます。
井内林・一本松とイボ地蔵
井内林・津田保育所の南を通る古道沿いに松が1本そびえています。 この松は「伊勢三郎物見の松」と呼ばれていて、源平の昔源義経の臣、伊勢三内義盛が、頼朝の軍勢の攻めてくるのをこの松に登って主君を守ったという伝説の松。(但し今の松は4代目) その松の下に地蔵がまつられ、イボができたとき祈願すると治るという「イボ落し」にご利益があると伝えられています。
まちの駅これから村 しあわせ家
4色の生地を交互に焼き上げたバウムクーヘン"めい姫の十二単バウム"をはじめ、シュークリームやシフォンケーキを製造販売するお店です。施設内には、足湯、スイーツショップ、動物広場、ぶどう園も併設。
まちの駅これから村 とりみそ家
秘伝の味噌ダレをからめて焼く、松阪名物"とり網焼き"のお店。香ばしい鶏肉に合うごはんは、自社生産のお米を店内の釜で炊き上げています。施設内には、足湯、スイーツショップ、動物広場、ぶどう園も併設。
松幸農産これから村
レストラン、スイーツショップ、足湯、動物広場、を兼ね備えた観光スポット。松阪名物とり網焼きの「とりみそ家」でお食事、動物広場で動物と触れ合い、遊び疲れたら足湯でほっこり、家族みんなで楽しめます。3時のおやつは「しあわせ家」でシュークリームなどを楽しんでください!
香良洲海岸
津市南部にあり、伊勢の海県立自然公園の南端に広がる美しい海岸。地元で親しまれる潮干狩りや海水浴のスポットとして人気です。※潮干狩りは、状況により貝が採れない場合がありますのでご了承ください。 海水浴場について 【トイレ】 1ヶ所 無料 【シャワー】 約1ヶ所 有料 500円(海の家利用者) 【駐車場】 約400台 無料 【海の家】 1件...