大泉駅の西側及びいなべ市役所の南東の一角にて、ネモフィラの花をお楽しみいただくことができます。 ブルーの可愛らしい花々の絨毯と、黄色い三岐鉄道の車両が絵になるポイントです。 2024年のネモフィラの開花状況はこちら 三重の花カ...
「楯ヶ崎」や「鬼ヶ城」などリアス式海岸特有の奇岩・巨岩をみることができる熊野市の海岸線。松崎港発着の楯ヶ崎観光遊覧のコースの「ガマの口」は、熊野の「青の洞窟」とも言われるほどの美しい大きな洞窟の穴です。青い空と青い海が広がりはとても開...
伊賀と大和の国境を流れる滝川の上流に連なる数々の瀑布が美しい大自然のアートを作り出す赤目四十八滝。室生赤目青山国定公園の中心に位置し、その長さは約4キロにも及びます。 赤目の神秘的な自然は、平成の名水百選、日本の滝百選、森林浴の...
カテゴリーから探す
エリアから探す
並び順
※人気順は、観光三重におけるスポット内での人気順となります
兼好塚
『徒然草』で知られる兼好法師を祀る草蒿寺跡の「兼好法師遺跡公園」内に地元の人が誇りとする兼好塚があります。草蒿寺跡には「兼好法師終焉の地」の石碑が建ち、森の奥には「南朝忠臣兼好法師」と刻まれた顕彰碑と、木々に囲まれた塚があります。遺跡地は東西20m、南北30mの平坦な雑木林で、高さ1.2mの遺跡碑が中央に建てられ、碑の前に土石がすこし高く積み上げられていて、これが兼好の塚と言われてます。 ...
伊賀
万寿寺
萬壽寺の前身は長福寺といわれ福地一族の祈願寺でありました。長福寺は宝暦10年(1760年)に萬壽寺と改称され、今に至っています。萬壽寺は昭和7年(1932年)に焼失、昭和9年(1934年)に新しく落慶法要が行われました。本尊の延命地蔵菩薩(木造地蔵菩薩坐像)が国の重要文化財に指定されています。 また、木造不動明王立像は県の文化財に指定されています。芭蕉さんを顕彰する桃青殿があり、木造の芭蕉...
精肉のオクダ 伊賀牛焼肉レストラン奥田
1階 伊賀牛の食材を多数取り揃え、充実した品揃えとなっています。安心安全の生産直売。赤身肉の霜降り肉も最高です。 2階 奥田ブランドの伊賀牛。赤身、霜降りの甘さ、美味しさを堪能してほしいです。
伊賀牛生産直売奥田
上質の黒毛和牛を直営牧場で育て、レストラン、精肉部門から心をこめてお届けしています。 また、ネットの注文サービスでも伊賀肉をご購入いただけます。
久居榊原風力発電施設(青山高原ウインドファーム)
布引山地青山高原の緑・笠取山の頂上近くに発電量国内最大規模の風車が設置されています。 一基当たりの発電能力が750kWの風車を24基(3,000kW)設置し、電力会社へクリーンエネルギーとして供給しています。 風車のタワーは高さ50m、ローター(回転部)の直径50.5m、地上から最頂部までの高さ75mと、大きさも国内最大級。シンプルでその流れるようなデザインは周囲の風景とみごとに調和し...
中南勢
福地城跡
福地伊予守の拠城でしたが、明治26年、翁200年忌を記念して、福地城跡に持主の松尾宇八郎氏から土地の寄付を受け芭蕉公園を後世に残しました。 園内には「古郷(ふるさと)や臍(ほぞ)の緒(お)に泣くとしの暮」の句碑があります。また、万寿寺から芭蕉公園へ向かう途中には、西村白雲郷の句碑「芭蕉さんと村童のいふ刈田道」(誰もが親しみをこめて”芭蕉さん”と呼ぶことから)があります。170×220mの土...
芭蕉公園(福地城跡)と芭蕉句碑
万寿寺の上方、松尾家とゆかりのある福地伊予守の城址に石を敷き、樹を植えた公園。公園内には没後200年を期して、芭蕉翁生誕記念碑が建てられ、俳聖の往時を偲ばせる。 園内には「古郷(ふるさと)や臍(ほぞ)の緒(お)に泣くとしの暮」の句碑があります。
藤一水
私共は、忍者の末えいの藤林と申します。 昔の忍者が食したと思われる素材を現代風にアレンジした料理をお出ししています。店内には「どんでん返し」や「刀隠し」など忍者のしかけを施しています。
横光利一文学碑・解説文碑
横光利一は明治31年(1898)3月17日、父梅次郎と母こぎく(中田小平・きくの4女)として福島県に生まれるが、小学校1~4年生まで母の実家の伊賀町野村(現地名)に住み、東柘植尋常高等小学校(現柘植小学校)へ進学しました。 後、大正12年小説家として文壇にデビュー、川端康成と共に新感覚派運動を展開し、ついで新心理主義文学に移りました。 作品には「日輪」「機械」「寝園」「紋章」「旅愁」など...
とれたて名張交流館
名張のとれたて地場物産と人々が集まるまちの駅。農産物・伊賀米・地酒・特産品・伊賀牛・花・福祉施設商品などを取り扱っております。 また各種イベントの開催により農業、商業、社会福祉の連携を強化し、来店者等との交流を通じて、農業振興と地域経済の活性化並びに地域福祉の増進を図る施設です。 ※ご来店の際は、マイバックをご持参下さい(レジ袋は有料です)
HOTEL AZ 三重名張店
バイキング形式の朝食、駐車料金も無料のビジネスホテル。徒歩圏内に温泉施設があるのも嬉しいポイントです。
癒しの里 名張の湯
天然温泉を使用した多彩なお風呂がある日帰り温泉施設。広々とした露天岩風呂やサウナをはじめ、岩盤SPAも完備。SPAでは、岩盤浴やロウリュウサウナなどをお楽しみいただけます。
夏見廃寺跡・夏見廃寺展示館
夏見廃寺は、7世紀末から8世紀前半に建立され、10世紀末頃に焼失した寺院です。丘陵斜面にある地形的制約から講堂が金堂南西部に位置するなど他に例のない変則的な伽藍配置となっています。 発掘調査で金堂建物が奈良県桜井市の特別史跡山田寺跡と同じ身舎(もや)と廂(ひさし)がともに間口3間、奥行き2間という特異な建物であることや、金堂跡を中心に各種のせん仏が多量に出土したことで、大和の中央勢力と...
伊賀サービスエリア(上り線)
地元伊賀の特産品をはじめ、大阪・神戸・奈良・京都の関西のお土産をコーナー別に販売しており、また自家製パン、店内手作りの満腹おにぎりも販売いたしております。 シャワールーム、EV急速充電器24時間(課金制)も備えております。伊賀の特産品を集めたお土産コーナー、授乳室、ゆっくりおくつろぎいただける喫茶コーナーを備えた、いが百彩館もあります。
徳永寺
天正10年(1582)、本能寺の変の折、徳川家康は泉州堺から三河に帰国の途中の6月2日、当寺で一泊しました。家康はその時のお礼に、田畑や山林を与え、葵紋の使用も許したといわれています。 また、藤堂高虎が入国した際、米2石と茶2貫200匁を永代寄進するとの書状が与えられ、幕末まで続いたとされており、初代高虎から十一代高猷までの(八代を除く)各藩主の寄進状10枚が現存しています。 境内には市...
道の駅「いが」
松尾芭蕉を顕彰する俳聖殿をイメージした八角形の外観施設。全国初の自動車専用道路から直接利用できる道の駅として誕生しました。 特産品売場では、地元の野菜や伊賀地域の特産品が購入でき、レストランでは、地元の食材を使ったオリジナルメニューが楽しめます。 「道の駅」では珍しいコンビニ、特産品売場とドッグラン(無料)が24時間ご利用頂けます。
都美恵神社
参道の入口の石造鳥居は、地上4m、地下埋没1m、鳥居の柱の間隔は柱の中心より3.5mで、鳥居内に納められた青銅塊の陰刻名によると、鳥居の建立は寛文12年(1672)2月2日とあります。 毎年4月5日の例祭では子供みこし、都美恵太鼓や獅子舞、子供相撲が奉納されます。 また7月には祇園祭があり宵宮では奉納花火大会があり、多くの人でにぎわいます。花火の後には無病息災・五穀豊穣などを願って探湯神...
御菓子司(株)星安
三重県産の材料を使用して全て自社工場にて製造している和洋菓子の販売店です。
H•A•P•P•Y Y•O•U さんきゅうや
「安全・安心なものを自分の子どもや孫へと食べさせたい」と考え、食にこだわった食事を提供しているお店です。 地元の無農薬の野菜を使ったり、徹底的に手作りにこだわったランチメニューがおすすめです。また、併設された和菓子工場で作るどらやきのパンケーキ「どらパン」や「和菓子屋さんのロールケーキ」などもあります。 また、毎月内容を変えてメニューをご用意しております。
積田神社
積田神社は、「南都春日大社奥宮」(なんとかすがたいしゃおくみや)ともいわれ、今から約1250年前、鹿島大神(かしまおおみかみ)が常陸国(ひたちのくに・現在の茨城県)から大和国(やまとのくに・現在の奈良県)春日大社にご遷幸の途中に、立ち寄られて鎮座された宮。 参道は、例年11月~12月にイチョウともみじが色づき、美しい光景を作り出します。 2023年の紅葉の状況はこちら
賛急屋
かつて伊勢参りの宿場町として賑わい、様々な文化の行き交う街、名張。賛急屋は、その駅前にて昔なつかしい店構えで故郷の味「なばり饅頭」を販売しております。地産地消の地元のオーガニック野菜や伊賀豚など地元の商店(お豆腐さんなど)の食材を使った料理や、伊勢の魚介に日替わりニュー。当店スタッフ一同、心温まる雰囲気をご提供いたします。
隠物(なばりもん)セット 名張の乾物セット
名張らしさが息づく特産品の開発第一弾! 観光協会会員が取り扱ってる商品で、ユーモアや実用性を考慮したコラボ商品。 ②名張の乾物セット。和菓子屋さん3店舗の「かたやき・煎餅」詰め合わせ。
(一社)名張市観光協会
素敵な旅のお手伝いをさせていただきます! 名張への観光の際は、なばり観光案内所へお立ち寄りください。 案内所には、パンフレットや観光マップをはじめとして、お役立ち情報が満載です。 ぜひお気軽にご利用くださいませ!
名張藤堂家邸跡
名張藤堂家邸は、織田信長の重臣丹羽長秀の三男で藤堂高虎の養子となった高吉に始まり、寛永13年(1636年)以来名張に屋敷を構えました。一万五千石を津本家から給され、十一代高節で明治維新を迎えています。 現存の建物は、宝永7年(1710年)の名張大火によって焼失したが、その後再建されたもので、藤堂家に伝わった屋敷図によれば、非常に使い方や建物の性格からいくつかの機能に分けることができ、記...