大泉駅の西側及びいなべ市役所の南東の一角にて、ネモフィラの花をお楽しみいただくことができます。 ブルーの可愛らしい花々の絨毯と、黄色い三岐鉄道の車両が絵になるポイントです。 2024年のネモフィラの開花状況はこちら 三重の花カ...
夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処と言われてきました。 夫婦岩はこの興玉神石と日の出...
忍者修行の里、室生赤目青山国定公園内の日本サンショウウオセンターが「赤目滝水族館」としてリニューアルオープン。 「赤目四十八滝の自然と繋がる水族館」をコンセプトに、本物の滝、特別天然記念物が生息する渓谷と一体となった巨大水族館です。...
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※人気順は、観光三重におけるスポット内での人気順となります
四日市市ふれあい牧場
工業都市のイメージの強い四日市市ですが、市西部では自然がいっぱいです。四日市市ふれあい牧場は、お茶の産地である水沢地区の自然に囲まれた乳牛育成場です。 乳搾り体験、バター作り教室なども楽しむことができます(要予約)。また、ミニチュアホースや山羊などの小動物ともふれあうことが出来ます。管理棟には売店を併設しており、新鮮な牛乳、ヨーグルト、アイスクリームが販売されています。
北勢
昭和幸福村公園
「こよなく愛し、いつまでも太陽があるように」。 日本の尊い精神、文化を後世に残して行ってほしいそんな願いをこめて先代園長が創ったユニークな公園です。 コンセプトは遊んで学べる公園。開園して35年を迎えました。 鈴鹿山麓の風光明媚な公園の森には、湖水が流れ、池をぐるりと囲むように、梅と桜の並木が続き、早春には紅梅が水辺を彩ります。 ボートからの観梅も一興です。市内の花の名所...
松阪市飯高B&G海洋センター
◆プール 25mプール (水深1.1m~1.2m) 幼児プール (推進0.5m~0.6m) 営業期間:7月21日(金曜日)~8月31日(木曜日) 休館日:7月24日(月曜日)・7月31日(月曜日)・ 8月7日(月曜日)・ 8月14日(月曜日)・ 8月21日(月曜日)・8月28日(月曜日) ※ 身長125cm以下の方は、付き添いの方と一緒にご利用ください。 ※ 天...
中南勢
水屋神社の大楠【県指定天然記念物】
大和の春日大社の行在所として祀られた由緒ある神社。 ご神木である大楠は、推定樹齢1000年を越え、樹高35m、根回り29m、樹幹12mという県内有数の大木。 伊勢と大和の国分け伝説が語り継がれている。(県指定天然記念物) 松阪の観光情報は、松阪観光インフォメーションサイト ワク...
あみ焼き 凪
国道23号沿い、定食屋として約15年続く「凪」が鶏焼き肉のメニューをスタート。お店は定食と鶏焼き肉のフロアに分けられています。おすすめは、錦爽鶏の脂の旨味がたっぷりと凝縮された「せせり」。網の上でこんがり焼き上げるせせりは、あっさりとしていて柔らかい食感です。その時期で一番良いマグロを仕入れるという「鉄火丼」も人気。
香良洲公園
古くは香良洲神社の神領地であったが、大正14年に香良洲公園となり、昭和28年には伊勢の海県立自然公園の指定を受けています。 総面積の4.8haの公園内には老松たちが今なおダイナミックに枝を広げており、雄大な造形美の圧倒的景観をつくりだしています。 また、公園内には鴨長明の句が刻まれた歌碑があり、かつてこの地に製塩が盛んであった事を伝えています。
国民宿舎 湯の山ロッジ
香良洲海岸
津市南部にあり、伊勢の海県立自然公園の南端に広がる美しい海岸。地元で親しまれる潮干狩りや海水浴のスポットとして人気です。※潮干狩りは、状況により貝が採れない場合がありますのでご了承ください。 海水浴場について 【トイレ】 1ヶ所 無料 【シャワー】 約1ヶ所 有料 500円(海の家利用者) 【駐車場】 約400台 無料 【海の家】 1件...
松阪市飯南体育センター
「1階」バレーボール2面、バスケットボール1面、バトミントン3面、「2階」卓球台5台。
天然温泉「ロックの湯」
桧風呂、ジェットバス、露天風呂、電気風呂、遠赤外線サウナ、座湯、塩サウナ、打たせ湯、蒸気サウナ、ボディシャワー、バイブラバス等。マッサージ、カラオケルームあり。
いわし会席 きらく家
日本全国で獲れる様々な種類のいわしを専門店ならではの形でお料理致します。和食をベースとしながらも、「いわしのカルパッチョ」など創作洋風料理もあります。 ご来店頂く前には、必ず予約をお入れ下さい!! 是非、絶品いわし料理をご賞味下さい。
珍布峠
旧和歌山街道、天照大神にまつわる伝説の峠を珍布峠という。”昼なお暗いよ「めずらし峠」” 天照大神と天児屋根命がバッタリ会われ「おお、めずらしや」と言われたことから「めずらし峠」と呼ばれるようになったといわれています。 天照大神が川に投げ入れて国境を決めた「国分け伝説」の【「礫石(つぶていし)」】がよく見える場所でもあります。 珍布峠ウォーキングコースは、こちらもご参考ください↓↓...
エトワール・f・フィランテ
エトワールのバウムクーヘンは、鈴鹿で初!!特殊なバウムクーヘン専用マシンを取り入れて焼き上げています。 他では味わえない、しっとりふわふわの口どけをご賞味ください。 カフェもあります。
石薬師の一里塚跡
一里塚(いちりづか)とは,大きな道路のそばに1里(約3.927km)毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)であり,そばに榎の木を植えたり,標識を立てたりされていた。 石薬師の一里塚は,もと蒲川の西岸に位置し,かつては東海道の両側に榎が植えられていた。 記録によると,榎は伊勢湾台風で折れ,終戦後北側にその根元だけが残っていたという。 しかしその後消滅してしまったので,昭和...
松阪市飯南和紙和牛センター
美濃から紙すき職人を招き、深野地域の農家の副業として始められた深野和紙。和紙和牛センターでは、冬期(12月~2月)のみ深野和紙の紙すきを体験することができる。(要予約)
もくいち 森林美術館
「森林美術館」のある飯高町は、神代の頃、伊勢国と大和国の境界を決めるために天照大神が石を投げ入れたという「国分け伝説」や、倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢巡幸の際に、自分の姿を映して化粧をしたといわれる「姿見の池」など、人と自然と神々との共生の歴史が刻まれている地です。 「森林美術館」を運営している「もくいち・マルゴ」では、約20種、2,000枚以上、県下最大級の在庫を誇る天然木材を...
松阪まるよし(松ヶ島店)
松阪牛の本場、三重県松阪市で創業六十有余年、松阪牛の精肉店と直営レストランを松阪市内で運営しています。 レストランでは松阪まるよし看板メニューのビフテキ(ステーキ)や、霜降りロース肉を使った松阪牛料理の定番のすき焼、しゃぶしゃぶなどが好評です。 ※松阪まるよしは、松阪牛の正規販売指定店(松阪肉牛協会員 指定第340号)ですので、 安心して世界のブランド牛と言われる三重県ブランド第一号...
来迎寺
松阪市街から国道166号線を山手へ登った山間にある浄土宗の寺院。鎌倉時代名僧といわれた重源が、この寺を開いたと伝えられています。 所蔵されている銅鐘は永禄11年(1568年)の作。昭和27年に県の有形文化財に指定されている。 また境内にある樹齢約300年のつばき(オランダ紅)は豊臣秀吉の朝鮮出兵のおりに、加藤清正が持ち帰った物と伝えられており、春に見頃を迎える。 ※所蔵文化財はご覧...
湯の山乗馬クラブ
中部地区最大級の屋内馬場と、自然を感じられる屋外の乗馬場があります。
松ヶ島城跡
三渡川右岸の海岸線から東へ500m、俗に天守山と呼ばれる1辺約20mの四方の台状地が、本丸天守台の跡と考えられている。永禄10年(1567)の頃、北畠具教はここ細首(松ヶ島の旧名)に築城するが、同12年、織田軍来攻に際して自ら焼き廃城とする。天正8年(1580)、具教の養子に入った信長の次男北畠信雄は同地に築城、松ヶ島城と改称した。その後、同12年に蒲生氏郷が入城し南伊勢支配の拠点として栄え...
【まちかど博物館】偲び舎 奈可"多
古物、古萬古の展示。主に古萬古を展示しております。お抹茶とお菓子を召し上がりながら、ゆっくりご覧になってください。 要予約。 お願い まちかど博物館は、いわゆる観光施設ではありません。あくまで館長の生活の場、仕事の場を公開していただくものです。したがって予約が必要であったり、公開日などに制約があるなどの制限があります。ご見学の皆さんもまちかど博物館の趣旨をご理解の上での見学をお願い...
石薬師寺
広重の石薬師寺宿の図に描かれているのがこのお寺。このお寺の名前から石薬師という宿場の名前も取られた。 ご本尊は弘法大師が石に爪で彫ったといわれる薬師如来像。参勤交代の大名が必ず参詣したという名刹です。 石仏は市指定文化財。 創建年代:726
ホルモン一平
ホルモン焼肉店らしい種類豊富なホルモンに加え、牛、豚、鶏とさまざまな焼肉メニューが揃うお店。おすすめはコロコロと丸い形をした「松阪牛まるちょう」。松阪牛のまるちょうを取り扱っているお店は珍しく、プリプリの食感と脂のしっかりとした甘味でご飯やビールが進みます。2021年のリニューアルによって店内に仕切りが設置され、よりくつろいでお食事できる空間に。
大河内城跡
標高110m余りの丘陵突端部一帯、300m四方の範囲内に建造され、東裾には坂内川、北裾には矢津川が流れ、南裾と西裾には深い谷が巡って自然に要害の地を形成している。 城の縄張りは本丸を中心に北を大手口、南を搦手口とし、西に西の丸、東に二の丸・御納戸・馬場などを配し、随所に堀切りや台状地が残る。 本城は応永年間、伊勢国司北畠満雅により築城され、弟顕雅が入城して、その子孫は代々「大河内御所」...