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※人気順は、観光三重におけるスポット内での人気順となります
大黒屋光太夫記念館
鎖国の世にロシアを見た大黒屋光太夫は、井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』の主人公です。光太夫がペテルブルグで書いた手紙や日本地図、漂流記の写し、遺品のレプリカ(複製品)など、光太夫にちなんだいろいろな資料を展示しています。
北勢
伊勢型紙資料館
伊勢型紙資料館は、江戸時代末期の建物で白子屈指の型紙問屋であった寺尾斎兵衛家の住宅を修復して、平成9年に開館しました。 寺尾家は江戸時代から伊勢型紙の生産から販売までを行い、行商範囲は東北地方から関東一円にも及んでいました。 寺尾家住宅は、型紙関係の商家としてまた町家建築の代表例として、市史跡に指定されています。この由緒ある建物は、寺尾正一氏から寄贈を受けたものです。 伊勢型紙資料館で...
三重県立鈴鹿青少年センター
鈴鹿青少年センターは、青少年を自然に親しませ、集団宿泊研修を通じて心身ともに健全な青少年の育成を図ることを目的とした青少年教育施設です。 宿泊研修を目的とした団体以外にも、スポーツの合宿や文化部の合宿、家族のふれあい等にも利用していただくことができます。 食堂 ラウンジ 大浴場 小浴場 宿泊施設 総合研修館 文化室 創作室 第1研修室 第2研修室 第3研修室 第4研修究室 第5研修室...
荒神山観音寺
真言宗のお寺。仁侠史上最大の出入り「荒神山の喧嘩」があったところ。 この争いの中で、吉良仁吉と清水一家が、長吉に加勢して桑名の穴太徳と戦った場面は、映画や浪曲でもおなじみ。 また、春日局が寄進したといわれる釣鐘があることも有名です。春祭りの4月7日には火渡りが行なわれます。 創建年代:江戸
仏土寺
昔は伊賀八大寺中随一といわれ秘宝類も多い。 本尊の「木造阿弥陀如来及両脇侍像」は国の重要文化財に指定されている。 創建年代:鎌倉初期 【所蔵品】 木造藥師如来及両脇侍像 = 国彫 3躯 1916/08/...
伊賀
庄野宿資料館
庄野宿資料館は、庄野宿に残る膨大な宿場関係資料の活用と旧小林家(市指定文化財)の保存を進めるため、主屋の一部を創建当時の姿に復元して、平成10年に開館しました。 庄野宿は東海道五十三次の四十五番目の宿として発展し、また安藤広重が描く「東海道五十三次」の風景版画の中の傑作といわれる「庄野の白雨」でもよく知られています。 館内には、庄野宿の本陣・脇本陣文書、宿駅関係資料をはじめ、日本画壇で活...
鈴鹿市稲生民俗資料館
稲生民俗資料館は、「稲生」という地名にちなんで、稲や農業に関係ある資料を中心に展示しています。水車や唐箕(とうみ)など、今では見ることのできない農機具の展示や、稲の品種改良に功績のあった人物の紹介、古代米の一種の赤米や黒米、珍しい紫米も展示しています。
鼓ケ浦サン・スポーツランド
鼓ヶ浦サン・スポーツランドは、昭和62年に建設され、多くのかたに利用されています。全天候型のテニスコート6面、クリケットボールコート1面とフットサルコート(砂入り人工芝)1面と多目的広場、会議室があります。テニスコートとフットサルコートには照明設備が整備されています。
加佐登神社
日本武尊を主祭神とし、古来、御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていた。 江戸時代後期の国学者・平田篤胤は「御笠殿社由来記」(1829年)で、腫物などの病に霊験あると記している。 境内には倭文神社や慈悲山廃寺があったと伝えられる。 明治6年(1873年)に「笠殿」(かさどの)から現社名へ改め、明治41年(1908年)に近隣の神社16社を合祀し、現在の姿となった。また同年、村社に列格した。 ...
鈴鹿市立テニスコート
市立テニスコートは、市立体育館の隣に昭和50年に開設され、現在12面の砂入り人工芝コートがあります。そのうち6面に夜間照明設備を備えています。また利用者の憩いの場として、クラブハウスが併設されています。
川端街道(川丈街道)
※現在、台風12号の影響で被害を受けており、通行することができません。 上皇や貴族らの熊野詣は、本宮参拝の後、熊野川を舟で新宮へと下ったが、庶民は熊野川東岸の崖沿いを歩いた。古道の大半は失われてしまったが、天皇の使者(伝使)が、あまりの水かさに引き返したという「宣旨帰り」は約500メートル程だが、歩行可能である。
東紀州
桃の木山の家
2012年4月28日(土)から営業再開! これまで、災害復旧が完了した次の区間が通行できましたが、2012年8月11日(日)から、大台林道を一部迂回し、三重県⇔奈良県への通り抜けができるよう「大杉峡谷林道コース」が設けられました。 大杉渓谷ファンのみなさまのお越しをお待ちしています♪ <従来の通行可能区間> ●日出ヶ岳から堂倉滝吊橋 ●宮川第三発電所から七ツ釜滝下...
中南勢
諸戸(宗)家住宅 主屋・洋室・御殿・洋館・玉 突場・煉瓦蔵・表門
諸戸家の基礎を築いた諸戸清六(1864~1906)は、米取引、田地、山林などによって一代で資産を築いた実業家で、明治17年(1884)頃には、富商として知られていた太一丸所在の山田家の屋敷地を購入し、事業と生活の拠点とした。 諸戸(宗)家住宅は、江戸期から大正期にかけての住宅施設、庭園が複合した大規模な事務所兼用住宅である。このうち、主屋一棟 洋室一棟 御殿(玄関及び座敷)二棟 洋館一棟 ...
伊賀市上水道水源地送水機関室
昭和11年(1936)、旧上野市に初めて上水道が布設された時のもので、昭和30年代後半まで使用されていた。 国の登録文化財に指定。 外からは見られますが、中には入れません。 【三重県の文化財情報】 伊賀市上水道...
ツリーハウス
利用の仕方は、自由です。 周辺で遊んだり、ちょっと一休みしたり、涼んだりと… ちょっぴりトム・ソーヤ気分を味わったりして… 宿泊される方は、シュラフが、必要ですので、ご持参下さい。貸し出しなどは、ありません。 4月1日オープン。 年中無休 利用可能時間帯 昼 10:00~16:00 夜 17:00~翌朝9:00 宿泊は、4名様まで可能
四日市市楠歴史民俗資料館
資料館となるのは楠町本郷の旧岡田邸で、岡田家は代々楠城主に仕え、江戸時代は庄屋を務めた旧家です。旧楠町が平成14年3月に岡田家からその土地、建物の寄付を受けました。建物は主屋と土蔵が推定で250年余り、立会所(役所施設)は明治3年の文献にあることから130年余りが経過していると思われます。それらを修復するとともに、傷みが激しかった米蔵跡には展示棟を新設し、楠地域の歴史・文化の保存、振興を図...
三木崎・三木崎園地
熊野灘に突き出た断崖絶壁で磯釣りの名所。 三木崎園地では心地よい森林浴も楽しめ、ヤブツバキをはじめとした様々な木々が灯台まで連なります。特に冬から春にかけて咲き乱れるヤブツバキは、三木崎の名物といえます。
あご湾めぐりと船上バーベキュー【いわほ観光汽船】
海の幸のバーベキューを食べながらのあご湾めぐり。海女さんの実演ショーもある。遊覧60分。
伊勢志摩
海津本店
焼き肉、すき焼きが楽しめる。
高田本山専修寺御廟拝堂及唐門
如来堂の西側、小さな石橋を渡って堀の間を抜けたところが、真宗の開祖親鸞聖人の御廟である。南から唐門、拝堂、石橋と続きその奥に親鸞聖人の墓とそれをとり囲むように専修寺歴代住職のお墓がある。 正面にある唐門は文久元年(1861)の建築で、屋根は檜皮葺、長押や柱の間や扉などはすみずみまで彫刻で埋め尽くされ工芸品のように美しい。左右につらなる透塀も同時に造られたもので、腰廻りにスイセン、ハス、タ...
高田本山専修寺山門
専修寺には三つの門がある。山門、唐門、太鼓門がそれで、参詣者は主に山門と唐門を利用する。 山門は御影堂の前に建つ2階建ての門で、専修寺伽藍の総門にあたり、宝永元年(1704)に建てられた。 細部に挿肘木(さしひじき)など天竺様(大仏様)の建築技法が使われているのと、背面三間に庇がついていて、柱の列が整然と見えるために、とてもすっきりした建築になっている。 県建 1棟 1960...
赤城峰霊符山大陽寺
永延2年(998年)花山法皇が行幸した霊蹟といわれる寺。海山安全・豊漁の仏とされる本尊の木彫仏は、聖徳太子の作とも伝えられ、鎭宅霊符尊神(北辰妙見菩薩)、即ち北極星、並びに北斗七星が御本体であり、神仏合体の尊い御本尊です。海上安全、大漁満足、家内安全、商売繁栄など、霊験あらたかな霊場として古くから信仰を集めています。創建年代:1605
猿蓑塚(芭蕉句碑)
国道163号を津市方面へ向かい、上阿波地区の長野トンネルの手前左側にあります。俳聖「松尾芭蕉」が元禄2年(1689年)郷里の伊賀上野への道中に、長野越えの峠道で時雨に震える猿をみつけ、「初しぐれ 猿も小みのを ほしげ也」の名句を残し、この句碑が猿蓑塚として残されています。
鈴鹿ヴォイスホール
最大300人(イス・机設置時140人)収容可能、ステージ可変の多目的ホールです。ライブやコンサートの他、展示会、説明会、セレモニーなど様々な用途に使用できます。