夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処と言われてきました。 夫婦岩はこの興玉神石と日の出...
神明神社の境内にある「石神さん」は、海女達の間では古くから「女性の願いなら一つは叶えてくれる」と信仰されており、今では全国から多くの女性の参拝客が訪れます。祈願紙に願い事を1つだけ書き、石神さんの前にある願い箱にそっと入れてお祈りを。...
鈴鹿山脈の主峰をなす山で、山麓には湯の山温泉があり、世界的規模を誇るロープウエイが山頂に通じすばらしい山岳公園となっています。 この山の地質は花崗岩で、ロッククライミングで有名な藤内壁をはじめとする岩場が多く、渓流にはいくつもの...
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福成就寺
名張地方最大の石造十三重塔あり。 舎利をおさめる黒漆厨子は国の重要文化財に指定されている。 創建年代:鎌倉 【所蔵品】 黒漆厨子 = 国工 1基 1912/02/08(M45) 室町 福成就寺 (外部リ...
伊賀
鵜森神社
近鉄四日市駅ちかくの鵜の森公園内に位置する神社。 この鵜森神社は、1470年に築城されたとされる浜田城があったところで、浜田城主の先祖といわれている藤原秀郷や初代城主田原忠秀らを祀っている。 保管されている十六間四方白星兜鉢は、国の重要文化財に指定されている。 【所蔵品】
北勢
世義寺
天平年間(729~748)聖武天皇の勅願を奉じて、僧行基が前山町亀谷郷に建立したと伝えています。 中世、外宮宮域の西に移り、寛文10年(1670)の山田大火には幸い類焼をまぬがれましたが、神域と寺門の接するのを憂えた山田奉行によって現在地に転じました。 この間、当寺は大峰山修験道の先達寺院として盛時には十余坊の塔頭をかぞえましたが、歴史の中で今日にのこるのは護摩堂であったこの威徳院の...
伊勢志摩
蓮徳寺
寺伝では行基による開創といわれ、現在は真言宗豊山派に属する。 本尊は秘仏の薬師如来で、脇侍の日光・月光菩薩立像は、国の重要文化財に指定されている。 日光像は左手を曲げ、右手を伸ばして長柄の赤色宝鏡を持ち、月光像は逆に右手を曲げ、左手を伸ばして白色宝鏡を持つ。 もとは彩色があったが、今は素地があらわれ、木目がみえる。 平安時代後期の作とされる。
尾鷲市立天文科学館
◎構造:鉄筋コンクリート造2階建1部階段室及びドーム ◎ドーム天頂高さ:15m ◎ドーム直径7.2m ◎主望遠鏡構造・ニュートン式セグレン式赤道儀架台・有効口径81㎝・重量6t・長さ鏡筒からカセグレン式副鏡まで340㎝ 宇宙の美しさと神秘性を感じながら「夢と希望」を育む事をめざす、家族的な雰囲気の天文科学館。 昼は太陽の黒点やプロミネンスなどの太陽表面の様子が観望できます。 ...
東紀州
三瀬砦跡
北畠の家臣で、土地の有力者であった三瀬氏歴代の居城であったといわれている。 大谷川が宮川本流と合するくちばし状の突端にあって南・西・北の三方は断崖であり要害の地となっている。 砦の周囲は高さ約3mの土塁によって囲まれ、内部には古井戸もあり昔の名残をとどめている。 現在は杉が植えられ、八幡社が祀られている。毎年3月の例祭には餅撒きが行われる。 昭和50年3月27日に県教育委員会から...
中南勢
すわ公園交流館
かつて四日市市立図書館として利用されていたこの建物は、特徴ある外観を残しつつ全館改修を行い平成15年8月に中心市街地活性化の拠点施設として開館しました。 「まちなか元気発信拠点」として、企画や施設運営を通して幅広い世代の人が交流できる場所を目指しています。 この建物-旧四日市市立図書館-は、平成15年1月に国の登録有形文化財に指定されています。
宝篋印塔
昔は、遠方からでも、その位置を確かめることができたため、熊野川口を出入りする船が、この塔の位置を確認することによって、安全が保たれた。 また、川口の状態が悪くなって、船の出入りに支障が生ずるようになると宝篋様で祭典を催し、読経の後、経文の書き込まれた石を川口に投げ込むとやがて川口は開けて通航できるようになったと伝えられる。
的矢湾遊覧
的矢湾めぐり
長谷の車田
近長谷寺がある城山の下、長谷の集落にある円形の水田。近長谷寺に祀られている十一面観音にちなみ、半径が11m。 平成10年、地元、地域おこしグループ「一八会」が「古里の景観や農業の大切さや稲作文化を後世に伝えよう」と創設し、毎年、5月に「御田植祭」、9月に「収穫祭」を行っている。 創設:平成10年
善養寺
寛正年間に布教のためこの寺を訪れた蓮如上人のゆかりの品が今も大切に残されています。 また境内に今も残る菩提樹は、蓮如上人が庭に種をまき、寺の繁栄と樹木の成長ぶりを念じたと伝えられています。
見性寺
菰野藩主土方家の菩提寺で、書院の玄関は名工高木藤造の作。 藩主の愛用した鎧や旗、屏風や文献など貴重な文化財が保管されている。 寺域は広く、桜やつつじの名所にもなっている。
蟹池
国道477号から北へ入った神森集落のはずれにある小さな湧水池。 この池は鈴鹿山系に降った雨水が伏流水となって湧き出ているもので、日本名水百選に選ばれた智積用水の源である。
石薬師寺
広重の石薬師寺宿の図に描かれているのがこのお寺。このお寺の名前から石薬師という宿場の名前も取られた。 ご本尊は弘法大師が石に爪で彫ったといわれる薬師如来像。参勤交代の大名が必ず参詣したという名刹です。 石仏は市指定文化財。 創建年代:726
大黒屋光太夫記念館
鎖国の世にロシアを見た大黒屋光太夫は、井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』の主人公です。光太夫がペテルブルグで書いた手紙や日本地図、漂流記の写し、遺品のレプリカ(複製品)など、光太夫にちなんだいろいろな資料を展示しています。
伊勢型紙資料館
伊勢型紙資料館は、江戸時代末期の建物で白子屈指の型紙問屋であった寺尾斎兵衛家の住宅を修復して、平成9年に開館しました。 寺尾家は江戸時代から伊勢型紙の生産から販売までを行い、行商範囲は東北地方から関東一円にも及んでいました。 寺尾家住宅は、型紙関係の商家としてまた町家建築の代表例として、市史跡に指定されています。この由緒ある建物は、寺尾正一氏から寄贈を受けたものです。 伊勢型紙資料館で...
荒神山観音寺
真言宗のお寺。仁侠史上最大の出入り「荒神山の喧嘩」があったところ。 この争いの中で、吉良仁吉と清水一家が、長吉に加勢して桑名の穴太徳と戦った場面は、映画や浪曲でもおなじみ。 また、春日局が寄進したといわれる釣鐘があることも有名です。春祭りの4月7日には火渡りが行なわれます。 創建年代:江戸
仏土寺
昔は伊賀八大寺中随一といわれ秘宝類も多い。 本尊の「木造阿弥陀如来及両脇侍像」は国の重要文化財に指定されている。 創建年代:鎌倉初期 【所蔵品】 木造藥師如来及両脇侍像 = 国彫 3躯 1916/08/...
庄野宿資料館
庄野宿資料館は、庄野宿に残る膨大な宿場関係資料の活用と旧小林家(市指定文化財)の保存を進めるため、主屋の一部を創建当時の姿に復元して、平成10年に開館しました。 庄野宿は東海道五十三次の四十五番目の宿として発展し、また安藤広重が描く「東海道五十三次」の風景版画の中の傑作といわれる「庄野の白雨」でもよく知られています。 館内には、庄野宿の本陣・脇本陣文書、宿駅関係資料をはじめ、日本画壇で活...
鈴鹿市稲生民俗資料館
稲生民俗資料館は、「稲生」という地名にちなんで、稲や農業に関係ある資料を中心に展示しています。水車や唐箕(とうみ)など、今では見ることのできない農機具の展示や、稲の品種改良に功績のあった人物の紹介、古代米の一種の赤米や黒米、珍しい紫米も展示しています。
鼓ケ浦サン・スポーツランド
鼓ヶ浦サン・スポーツランドは、昭和62年に建設され、多くのかたに利用されています。全天候型のテニスコート6面、クリケットボールコート1面とフットサルコート(砂入り人工芝)1面と多目的広場、会議室があります。テニスコートとフットサルコートには照明設備が整備されています。
加佐登神社
日本武尊を主祭神とし、古来、御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていた。 江戸時代後期の国学者・平田篤胤は「御笠殿社由来記」(1829年)で、腫物などの病に霊験あると記している。 境内には倭文神社や慈悲山廃寺があったと伝えられる。 明治6年(1873年)に「笠殿」(かさどの)から現社名へ改め、明治41年(1908年)に近隣の神社16社を合祀し、現在の姿となった。また同年、村社に列格した。 ...
鈴鹿市立テニスコート
市立テニスコートは、市立体育館の隣に昭和50年に開設され、現在12面の砂入り人工芝コートがあります。そのうち6面に夜間照明設備を備えています。また利用者の憩いの場として、クラブハウスが併設されています。
川端街道(川丈街道)
※現在、台風12号の影響で被害を受けており、通行することができません。 上皇や貴族らの熊野詣は、本宮参拝の後、熊野川を舟で新宮へと下ったが、庶民は熊野川東岸の崖沿いを歩いた。古道の大半は失われてしまったが、天皇の使者(伝使)が、あまりの水かさに引き返したという「宣旨帰り」は約500メートル程だが、歩行可能である。