三重の歴史街道
大和街道


関の西の追分で東海道から分岐し、加太峠を越えて、上野、島ヶ原を通り奈良へと続く街道。江戸時代には加太越奈良道と呼ばれていました。
見どころ
- 上野城下
- 伊賀上野は、江戸幕府の基盤を固める徳川家康にとって、大坂の豊臣方に備える重要な拠点でした。慶長13年(1608)に伊勢と伊賀の領主になった藤堂高虎は、「伊賀は秘蔵の国。上野は要害の地、根拠とすべし」と、当時の築城・都市計画の最高技術を駆使して完全武装した城下町を作りました。今も上野の町並みにはさまざまな歴史の息吹が残されています。

- 伊賀市島ヶ原三本松周辺
- 上野の城下町を抜けた街道は、国道163号に沿ってしばらく進みますが、伊賀市長田三軒家のあたりで国道からはずれ、三本松峠を経て島ヶ原宿のあった伊賀市島ヶ原へ続きます。三本松峠への道は道幅も狭く、かつての街道の雰囲気を残しています。また、島ヶ原は山城国から伊賀国に入る重要な関門であり、木津川は、下流にある京都・大阪などの大きな都市につながっているなど、水陸路両面で重要な場所でした。

歳時記
- 芭蕉祭(ばしょうさい)(伊賀市)
- 俳聖・松尾芭蕉の命日に行われてきた「しぐれ忌」が、昭和22年より芭蕉祭として行われるようになりました。10月12日のまつりの当日は、上野公園の俳聖殿(はいせいでん)や蓑虫庵(みのむしあん)など市内各地の芭蕉ゆかりの場所に、全国の俳句を愛する人々が集まります。また、松尾家の菩提寺で芭蕉の遺髪を納めた故郷塚がある愛染院でも盛大な供養がいとなまれます。

- 勝手神社神事踊り(かってじんじゃのしんじおどり)(伊賀市)
- 伊賀町山畑の勝手神社に伝わる神事踊りは、毎年10月10日の例祭日に行われる、悪霊退散・雨乞い・豊作などの祈りを捧げるまつりです。 鞨鼓(かっこ)と呼ばれる太鼓を胸にかけ、頭に鳥の尾の飾りをつけ、細い竹に色とりどりの紙の花を張った《オチズイ》を背負った姿で、音楽に合わせてゆるやかに舞うさまは大変優美です。県無形文化財、国民族芸能選択の指定を受けています。

- 上野天神まつり(うえのてんじんまつり)(伊賀市)
- 学問の神様・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る、上野天神宮(菅原神社)の秋祭りは、毎年10月23~25日に行われ、豪華絢爛なだんじりや個性豊かな鬼など延々2kmにも及ぶ行列が城下町を練り歩きます。その歴史は天正年間にさかのぼるという大変由緒あるまつりで、歴史の町並みをまつり一色に染める伊賀上野の秋の風物詩です。
